2014年06月22日

自由と束縛

心の葛藤

私達の多くは、もっともつまらない事柄を占星術に結びつけたりします。

価値が無いものを占星術で…
そこから問題が生じる。

貧しい家庭環境に生まれるか…
豊かな家庭環境に生まれるか…

そんな非本質的な事だと理解する…びっくり

本質的なもの、非本質的なものから区別した場合に
占星術の奥深さが理解できるでしょう。

モハメッドの弟子にアリという男がいました。

アリはモハメッドに、

「人は自由で自分の望む事を意のままに為せるのでしょう?」
「それとも全ての行為は運命によって束縛されているのでしょうか?」


と尋ねました。

「人は自分の望むままに行動できるのでしょうか?」
「それともできないのでしょうか?」


モハメッドはアリに、片脚を上げて立つようにと言った…。
アリは、人が自分の望む事を自由に出来るかどうかの質問をしたばかりだった。

何故…?
片脚で立たねばならないのだろう?

モハメッドは先ず片脚を上げなさいと。
気の毒なアリは左脚を上げて、片脚でそこに立った。

するとモハメッドはアリに、

「今度は右脚も上げなさい…。」

アリは当惑して、

「どうしてそんな事ができますか?」

…と尋ねた。
モハメッドはアリに、

「もしあなたが望んでいたら、右脚を最初に上げられただろう。」

「だが、もう不可能だ。」


人はいつでも自由に最初の脚を上げる…
どちらでも望む方を上げられる。
だが、最初の脚を上げた瞬間、もう片方の脚は地面に縛り付けられてしまう。

人生に例えると、非本質的な部分について、私達は常に最初の脚を上げる自由があります。
しかし、ひとたび脚を上げると、本質的な部分においては束縛になります。

私達が非本質的な方へ踏み出し、それにはまり込むと、
本質には、働きかけられなくなります。

モハメッドはアリに、最初に右脚か左脚を上げるのは完全にあなた自由だと言った。
しかし、いったんアリがその自由を行使して左脚を上げると、もう一方の脚は上げられなくなった。

つまり、一定の制限の中では自由があるが、
その制限を越えると自由は無くなる…。

古くからある人間のマインドの葛藤。
もし人間が、自分の“運命の奴隷”なら…。
もし全てが運命づけられていて、“不可避”なら…
あらゆる“宗教性”は不要?

合理主義者達が言うように人間は何でも自由に出来るなら、
またあらかじめ決められていたり不可避な事など、まったくないなら…。

生命はただ混沌として無秩序?

だとしたら、盗みを犯そうとも解放を達成でき、
人を殺めても、神性を成就する事も可能。

全てに関連がなく、ひとつのステップが他と無関係なら…
そこには法がない。
何ものも何処にも縛られていない…

the Goddess of Mercyキラキラ 


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Posted by 鑑定マスターSHIN at 20:49│Comments(0)奇跡の物語
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